【およそ3センチ角の日記】20160810 絵の具の不自由

3cm絵の具

職業を「はんこ・版画イラストレーター」と、イラストレーターを名乗っていながら、
お恥ずかしい話、基盤がはんこにあったもので、絵の具をほとんど扱ってこなかった。
というか、永遠に扱いきれるような代物ではないのではとも思える。

去年くらいから、いや最近になってようやく絵の具を使う機会が出てきて、使うたびに驚く。その自由さに。
と同時に、はんことスタンプインクを使って制作することが、いかに制約が多いかということにも気づかされる。
もちろんそんなこと頭でわかってはいても、いざこの自由さを知ると、そうかあああこんなこともできるのかあああと驚き続けるばかり。

色を作るということ。絵の具の量、水の量、そのすべてで質感も色も100%違うものになる。
一方、スタンプインクは、もう作られた色だ。
もちろんその中でも何色を選ぶか、近年では種類や色もかなり多様化しているので、その中から選ぶだけでもいろいろなニュアンスが再現できたり、質感を変えることができる。
はんこならではのかすれ感、それはある意味では完全再現不可能な唯一無二さがあるけれども、色はある程度再現可能である。作られた色を選べばいいからだ。

あとこれは絵の具という話に限らず、絵を描くという行為とはんこを彫るという行為の差ではあるけれど、
はんこで作り出す線は、彫るか彫らないか。つまり白か黒か、なのである。
絵を描く行為も描くか描かないかであるとはいえ、例えば薄い絵の具でしゃしゃしゃっと線を描く。この自由さははんこにはない。
たまに「頭で思い描いた絵をそのまま彫るんですか」と聞かれることがあるけれど、私はそんな天才的な能力を持ち合わせていないので、かならず下絵を描く。
つまり、しゃしゃっと線を描く行為と、しゃしゃっと描いた線を下絵にしてはんこを彫るを行為。この流れには一枚隔たりがあるわけで。

とはいえこうやって普段のツールから離れてみると、ある意味で「不自由で制約だらけ」のはんこに、自分がいかに救われているかがよくわかる。
さすがにこの数年をはんこに捧げてきただけのことはあって、ある程度この制約の中で自由に動き回ることはできるようになった。
自由な絵の具の世界に飛び込んでみると、その自由さに驚くほど不自由な自分を感じるのだ。

だけどその行ったり来たりが面白いので、これは続けていくべきだなあと思っている。
私もこの自由さをめいっぱい楽しめるようになるのだろうか。