エロイム エッサイム

水木しげるが亡くなった。

私はミーハーなたちで、NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』は欠かさず見ていた。鬼太郎はもちろん知っていたけど、作者の片腕がないことすら知らなかったし、その人生についても知る由もなかった。改めて少し読んでみよう、という気になり何冊か買ったりもした。亡くなる前々日くらいにも一冊買ったばかりだった。つまりそのくらいの浅い介入なんです。

うちにある数冊を久々に読み返してみた。
まずはアドルフ・ヒットラーが浮浪者から総統になりそして世界を引っ掻き回し自決する最期までの一連を描いた【劇画ヒットラー】。それから【奇人怪人大図鑑】という、文化人類学者南方熊楠の破天荒すぎる半生を描いた漫画をはじめ、自身の子供時代、戦時中、戦後のエピソードを描いた短編集。そして【悪魔くん】とその他、カンボジア等の伝説や逸話を基にした話や、妖怪、死後の世界、異世界を行ったり来たり、あるいは行きっぱなしになる話が詰まっている一冊。

何をしても落ちこぼれていた少年が青年になり戦争に行き、切断を余儀なくされた腕にはウジ虫が湧いた。彼を埋めるための穴も彫られていたという。戦中戦後の狂った時代が生んだ、食って食われての人間模様も、生々しくもどこかアッサリとしたあのタッチで描かれている。あれだけの怪物と化したヒットラーが、芸術的画家を称してそうなれなかった劣等感の塊であったことにも、部分的にシンパシーを感じていたのかな。

戦争という世界の悲劇を十分すぎるくらい知っているからこそ登場した悪魔くんなんだろうということも、考えるほどに胸に迫るものがある。天才少年の悪魔くんは、悪魔メフィストを呼び出して、万人が兄弟となり、みんなが幸福になる世界を作ることを目指す。当時、出産費用にあてるつもりの原稿料も踏み倒され、奥さんの着物の肌じゅばんを質に入れ得たお金でバナナを買って帰った、その時代の水木しげるが描いた、一筋の希望だった悪魔くん。人間の恐ろしさを知っているからこそ、描く人間にも妖怪性があり、妖怪にも人間性が十分にある。だから妖怪や悪魔も愛着の持てるキャラクターに作り上げられたのだろうし。

死後の世界も楽しんでいるんじゃないだろうか、というか行ったり来たりするのかな、
氏にとってはそんなに大きな隔たりじゃないのかな、と勝手に想像している。

水木しげる氏、そして奥さんの、平穏な暮らしがこれからも続きますように。

 

SCAN0007