ボストンの地下鉄

ボストンで悲しいことが起こった。
ずいぶんと時間差をもって知った。私は本当にぼんやりとした世界で生きている。

小さい頃、(身長的には今も小さいけど)ボストンのすぐ近くに住んでいた。ブルックラインというところで、いわゆるダウンタウンには地下鉄で15〜30分でいける場所。だそうです。(距離感とかよくわからないままなので調べた)
住んでいたのは小学生の頃で、大学生の頃留学していたときも一度旅行で訪ねた。

あまりに昔のことすぎて、今、私がお世話になったうちの誰がボストンに住んでいて住んでいないのかもはっきりわからないけど、かろうじてfacebookでつながっている人たちの安否の確認はとれた。体の安否の話。心ではない。

子供の頃に住んでいた場所というのは、ぼんやりとした視界の中で、局地的にはっきりとした輪郭をもつ物があったりするもので。
ボストンのことを思い出そうとすると、いくつか思い出されるものがある。

どこを見わたしても真っ白な雪景色とか。
これ刺さったら死ぬなって怖くなったつららとか。
凍ったサッカーゴールのネットとか。

学校とか。
学校の前に止まってたアイスクリームを売る車とか。
遊具とか教室とか。
図書館で年一回開催される、クランベリーがぎっしり詰まったビンを見て「この中に何粒のクランベリーが入ってるでしょうか?」のクイズだとか。(ワクワクした)

スーパーとか。
チキンや野菜や、甘ったるいお菓子のにおいとか。

あと、地下鉄のGreen Lineのこと。やけに覚えている。
それは再訪したときに行ったからということもあるけど。

もちろん子供のときは一人でなんて乗ったことがないと思う。
トークンというコインを入れて乗るのだ。今もそうだったかな。
再訪したときにももちろん乗った。
ひとりで乗るはじめてのグリーンラインには、すごく不安をかきたてられた記憶がある。
なんとなく覚えている街なのに、一人でいるだけでこんなに不安だなんて。
小学生の自分と寸分変わらない自分がいたような気がした。

こんなどうでもいい自分の思い出話。
だけど思い出してる。ボストンのことを。なぜか震災のときのことを。

混乱、ショック、不安、そしてなぜかしんと静まる世界。
実際は慌ただしかったりわけわからなかったりでそんなに自分は切羽詰まった状況にいなかった気がするけど。
そのとき発する言葉はいつもより少なかったような気がする。

真っ先に止まった中央線。職場から帰れなかったので、職場近くの叔母の家に泊めてもらった。
電車が止まって帰れず、長時間あるいて帰った人たちがいた。
近くのビルに、どこかに、避難した人たちがいた。

Green Lineが動いていたかどうかはわからないけど、
昨日は近い状況があったんじゃないかなと勝手に予想してる。

3.12には中央線が動いていて、私は家にかえることができたから、
Green Lineが、今日も動いているといいな、と私は勝手に思う。