SF漫画家さま

最近、マンガをよく読んでいます。最近読んだのは、藤子F不二雄さんのSF短編集3との藤子F不二雄少年短篇集2。ミーハーですが、去年PENで特集されていたときから気になって、ようやく出会えたのです。古本屋さんでですが…。

私は作品を語ることは不得意だし、あまりに有名な人のことをあまり詳しくは書けないのですが…すごく安易な感想をつらつらと書いてみます。

読んでいて思うことは、やはり、藤子F不二雄さんのSF漫画は、スコシフシギ、というところにとどまって『くれている』気がするので、夜中、寝る前に読んでも安心だということ。以前寝しなに手塚治虫の『奇子』(短編も含む)を読んだら、そりゃもう心がざわざわしちゃいました。家族の怨念に翻弄されて、土蔵に閉じ込められ育った女性の話。もう、読んでしまったら電気を消すのも怖いよぉ。奇子もすごく怖い話ではあったけど、後編に入っていた短編集もひとつひとつが印象的ではあった。たとえば死んだ恋人の亡くなる直前の姿が、自分の網膜に焼き付いて一生離れなくなってしまった人の話とか。両腕と大切な人を奪われた人が、怨念と恨みによって特殊な力を手に入れ、その義手が人を殺していく話だとか。ほら怖いでしょう。でもね、忘れられないくらい強烈だし、置いて行かれながらも追ってしまう世界なんです。救いがある話もあれば、本当に救いのない話もある。いや、結局大好きなんですよ。こちらも。

おっと、話がそれてしまいましたが藤子F不二雄さんの短編はその感じではないのです。もっと身近な、「スコシフシギ」なのです。途中すこし怖くなるような展開もあるし、実際は凄く不思議な世界ではあるはずなのに、スコシフシギ、まで戻ってきてくれるというか。救いがあるし、基本的には前向きで。終わりに近づくにつれて少しずつ安心していく自分がいる。

そして、びっくりしたのは、「漫画家」さんという存在が何本の話にも出てくること。
例えば主人公(小学生なども多い)が出会う不思議な出来事を、親戚の「SF漫画家」の伯父さんに相談したり。(その伯父さんは結局その出来事をマンガにまとめたりする)あるいは「漫画家」志望の小学生が実際に会う出来事をマンガにしたり。ネタに詰まった「漫画家」にまつわるあれやこれやだったり。

これについて少し言及したい。
たとえば、私はバンドで歌を歌っていて。そこで歌詞を書いたりもします。
私にとって、そして周りの人にとって、音楽というのは生活の中にあって、結局は密接な関係にある存在だから、
たとえば「音楽を聴く」「歌う」、という部分を、私は、歌詞を書くときに登場させたくなるときがある。
だけどそれじゃひねりがないもんなあ、とか、直接的すぎるし、そういう曲ばかりになってしまうとワンパターンだ、とか色々考えてしまうわけで。
だからそういう言葉は避けようとしたりする。実際そういうことって多いと思うのだけど。

だからこそすごいというか、すごくうがった言い方をすれば、「単純」に、自分に近いところ、に帰結しているところが
「スコシフシギ」にとどまってくれている理由のひとつじゃないかなという気がしていて。
もちろん多作な中のほんの一部ではあるけど、
発想の原点にある「自分」の存在をあまり隠そうとしない作品があること、
その素直さに、ともいえるところに急激に憧れはじめたのです。私は。
ただしマネするとヤケドしそうな高度技術であるなと同時に思ったりして(笑)

うーんもっともっと読みたい。けど、制覇しようとなんて思ったらいったい何冊の漫画を買うはめになるんだ。末恐ろしい。