モーリス・センダックのこと。

絵本作家 モーリス・センダック/享年83歳。

モーリス・センダックが亡くなった。ちょっと日が空いてしまいましたが。


はんこは、今年3月に、センダックに関するドキュメンタリー映画を見て刺激されて彫ったものです。追悼はんこではなかったのですが、結果的にそうなってしまいました。GEISAIで展示した絵本の中でも、「追悼シリーズ」ではなく、「才能シリーズ(今も活躍している人)」の分類に入っています。

ここではいつも出展報告を書かせてもらってますが、ちょこちょこ日頃の思いなども綴ってみようかなと。

絵本作家、モーリス・センダックの代表作は「かいじゅうたちのいるところ」。

かいじゅうたちのいるところ

世界中の子供たちに愛された絵本で十分有名ですが。

私は個人的に、モーリスセンダックについて結構な思い入れがあります。
まず、私は小学生のときにアメリカに住んでいました。
現地の学校に行っていたのですが、そこで、学年のイベントとして、劇をやることになりました。
演目は、「Really Rosie(日本語タイトル:おしゃまなロージー)」。元は、センダックの作品をぎゅっと集めたオムニバス形式の子ども向けミュージカル。調べてみたところ、VHSしか出ていないようですね…。

Really Rosie サウンドトラック

元のミュージカルの音楽は、キャロル・キングでした。音楽もとってもよくて。私が童謡のような歌が好きなのは、この頃にルーツがあるかもしれません。
Really Rosieに集められてる各作品に、「かいじゅうたちのいるところ」を足したもの。
私はかいじゅうのうちの一人の役でした。(セリフ例:「がおー」)

特に目立ったわけでもなくあまりはっきりとした記憶はありませんが、もともと歌をうたうことは好きでしたし、まだ小学生でしたし。この作品のアニメーションも音楽も大好きでした。ビデオを買ってもらって、繰り返しみていました。

あの作品たちはセンダックの作品だ、ということをはっきりと意識したのはもっと後になってからですが、
もっと小さいときからうちにあった「そんなとき、なんていう?」という、谷川俊太郎さん訳の楽しい絵本も思えばセンダック作品でした。

ずいぶんセンダック作品に触れて育ったのだなあと思います。

そしてつい3月頃の話ですが、スパイク・ジョーンズ監督による、モーリス・センダックのドキュメンタリー映画を見ました。タイトルの「みんなの知らないセンダック」がよく表すように、本当に私の知らなかったセンダックがかいま見えたというか。こんなにひねくれじいちゃんだったのかという驚きというか。全編テキスト起こししたいくらいに密度が濃くて。

中でも印象的だったのは「死」についてのセンダックの視点。
「まどのそとのそのまたむこう」という作品には、姉がでてくる。

まどのむこうのそのまたむこう

かいがいしく弟の面倒をみながら、一方で、誘拐されればいいと思っている姉。
それは、まさしく兄と姉に可愛がられながら育ったセンダック自身の投影でもある。

これは、アメリカの宇宙飛行士・リンドバーグ氏の赤ちゃんが誘拐された事件の記憶がモデルになっていて。
子どもが誘拐され殺害されたというリンドバーグ氏の悲しい事件の報道で、その赤ちゃんの遺体写真を、2歳のときにみてそれを覚えている、とセンダック。周囲は誰も信じなかったが、記憶が本当に正しかったということは、彼が50歳近くになってから証明される。しかもそれは、被害者家族からの訴えによってその日の夕刊では削除されたという、とても限られた人たちしか目にしなかったものだった。
その頃焼き付いた記憶は一生残っていて、死に対する意識はそのときから。
華やかに輝かしく幸せに生きていると見られた家族に訪れた「死」。
誰にでも死は訪れるのだ、とその頃に発見・確信し、以来それをいつも考えながら生きてきた。と。

死ぬための準備をしている。それが整ったら死ぬ。それがまるで口癖のように、メッセージは何度も繰り返された。

映画の中に出てきたけど名前を忘れてしまったのだけど、死ぬ間際に、ある偉大な画家が、
「Is that it?」と呟いたという。「こんなに頑張ったのにこれで終わり?」と。

センダックの最期は、いったいどんなものだったのだろう。
死のことをずっと考えて生きてきたセンダックの最期。

死と向きあって生きていくのは、ずいぶんと荷が重いことのように感じます。
抱えていたものは本当に大きかっただろうな。
少しでも荷物を下ろせているといいな。
悲しいけれど、なんだか少し安心したような気もしています。

ひねくれおじいさんが、どうか穏やかに、眠れていますように。

スパイク・ジョーンズは、「みんなの知らないセンダック・続編」を作らねばならないですね。