20160905 永六輔さん

永六輔

彫りたいなと思い続けてなんども描き直したりしてようやく彫れた永さん。
実はそんなに永さんのラジオは聴けていなかったのですが。
私がTBSラジオを聴き始めたころにはもう、永さんは病気のせいでしゃべりにくそうで、初めて聞いたときは「何を言ってるか聞き取れないな」「おじいちゃんだなあ」なんて思っていたりした。
しゃべりにくかったりうまく声が出なかったり沈黙が続いたりしたとしても、人々がラジオを通じて永さんを感じたがっていた、その理由が今ならなんとなくわかる。
何年も聴き続けてきた人ならなおさらだろうな。

永さんは、現代の番組制作やものづくりにおいて、人々が「掛け持ち」をしている状況を憂いていた。
演者にしても制作側にしても、テレビやラジオや舞台など様々なものを掛け持ちしている。
ものづくりにおいては、一つの情熱を持って一つの何かに注いでいくこと、それが人間の限界なのでは?というようなことを言っていたようで。
そういう生き方が現代において難しくなりつつあるということを、時代の変化という言葉で片付けてしまえば終わりだけれど。
おそらく、掛け持ちや幅広さや本数の多さはそれ自体が重要なのではなくて。
日々何を感じて、何を作り上げるか、何を伝えるか。結局核になるのはそこだよなあと。
永さんはそれを、自分の基盤となるラジオで伝え続けてきた。ラジオは一対一のコミュニケーションになりうるところがあるから、それは確実にリスナーに届いていたのだと思う。そして何年もかけて伝え続けた結果、ラジオ越しに永さんを感じられるだけで嬉しいというリスナーが増えた。

永さんの追悼関連の番組のなかで、
「永さんは子供時代に戦争を体験した世代の人で、そういう人のほうが戦時中の話をよくしてくれた」という話があった。
この大事な世代が亡くなってしまうことの恐怖を、最近ことさらに感じている。

嫌になっちゃう選挙が立て続けに終わって、
その中でこの訃報があって、
世の中がどんどん不穏な方向に向かっている気配だけが漠然と、いやわりとくっきりと感じられて。

あまり後ろ向きに語りたくはないし、すがるようにするのも迷惑な話だろうけど、
永さんが発していた言葉はしっかりかみしめたいなと思う。